袋井市立三川小学校で学習する ステキなこと

カテゴリー │地元の事

今朝は地元 三川(みつかわ)小学校で、読み聞かせ。

この 三川小学校は、小学校のある袋井市友永に眠る 源 朝長(みなもとのともなが) という人物が元で、岐阜県の青墓小学校と交流しています。





この 源 朝長、あの鎌倉幕府を築きあげたという 源 頼朝のお兄さん。

そして 友永にある積雲院という お寺に祀られているのは、なんと 首だけ という とても不思議な話。


どうして 青墓小学校と交流があるのか。
なぜ 首だけが祀られているのか。
源 朝長とは、一体感どんな人物なのか。

子ども達は そんな事を学習しています。


三川小学校の廊下には、こんな交流の様子や学習内容が 貼り出されていますよ。









地元に こういう 歴史が残り また 学習出来るって、ステキな事だと思います…。



興味のある方は どうぞ。

平治の乱に敗れた 源 義朝は、息子達(長男 義平・次男 朝長・三男 頼朝 他・・・)を連れて、命からがら 美濃の国へと くだります。
途中、次男 朝長は 敵に 左股を矢で射抜かれ、重い傷を負ってしまいます。
岐阜の青墓(あおはか)の宿に着いた一行は、仲間を求めるため、長男 義平は北陸道を、 次男 朝長は中仙道を、そして 自らは 東海道を行く作戦に出るのです。
しかし…
朝長の傷は 悪化。“このままでは、敵に捕らえられ あわれな思いをする”と考えた 朝長は 父親に頼み自害する事を 選びます。

この朝長の亡骸は、青墓にある宿の者が ねんごろに裏の竹藪に葬った…はずだったのですが、なんと 後を追って来た 平氏の武将 平宗清が、この墓を掘り起こし 朝長の首を京に持ち帰って 平清盛に見参。朝長の首は、京都 六条河原で さらし首となってしまうのです。
これを知った 朝長の乳人役だった 大谷の忠太(おおやのちゅうた)が、六条河原にさらされた 主人の首を、ひそかに ひそかに 郷里の地(ここ 三川)へ持ち帰り 葬った。葬った先が この 積雲院…。


この積雲院は、源 頼朝が兄を供養するために建てた寺 とされ、友永という地名も この朝長からつけられた とされているそう。
そして、私達が住む ここ 大谷も、この大谷の忠太 という方からつけられたものなんだそうです。


首が友永の積雲飲に、首から下が 岐阜県大垣市の青墓に葬られていることから、青墓小学校の子どもたちが 1年に1度 この三川を訪ねてくれて、お墓参りをしてくれるんですね。
そして 秋には 三川小学校の子どもたちが、青墓小学校へ出かけ お墓参りをしてきます。


そんな交流が25年も続いているんです。 すごいな… 三川小学校 (*‘∀‘)








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袋井市立三川小学校で学習する ステキなこと
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