源 頼朝のお兄さん、源 朝長(みなもとのともなが) が眠るお墓…

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今日の朝は、地元女性部の皆さんと忠霊塔のお掃除…。

その忠霊塔の隣に、源一族のルーツをたどるのに とっても興味深い方の お墓が並んでいます。

源 頼朝のお兄さん、源 朝長(みなもとのともなが) が眠るお墓…


源 朝長(ともなが) です。

源 頼朝のお兄さん、源 朝長(みなもとのともなが) が眠るお墓…


源 頼朝 ではなくて、朝長?

「だれ? それ…」 と言われて 当然と言えば当然。 朝長は頼朝のお兄さん なんだそう。


むかしむかし…
平治の乱に敗れた、父 源 義朝は、息子達(長男 義平・次男 朝長・三男 頼朝 他…)を連れて美濃の国へ。
途中、次男 朝長は、敵に左股を矢で射抜かれ、重い傷を負ってしまいます。
岐阜の青墓(あおはか)の宿に着いた一行は、仲間を求めるため長男 義平は北陸道を。次男 朝長は中仙道を。 そして自らは東海道を行く作戦に出るのです。

しかし、悪天候に加え朝長の傷が悪化。

“このままでは敵に捕らえられ あわれな思いをする” と考えた朝長は、父親に頼み自害。
時に、朝長16歳。
青墓にある宿の者が朝長の亡骸を、ねんごろに裏の竹藪に葬ったと伝えられています。

が、しかし…。

後を追って来た 平氏の武将 平 宗清が、この墓を掘り起こし、朝長の首を京に持ち帰って平 清盛に見参。
朝長の首は、京都 六条河原で さらし首となってしまうのです。

この様子を知って立ち上がったのは、朝長の乳人役だった大谷の忠太(おおやのちゅうた)。
この大谷の忠太が、六条河原にさらされた主人の首を、ひそかに 郷里の地(ここ三川)へ持ち帰り葬った。

で、葬られた お墓が写真にある、源朝長の墓というわけです。


このお墓、中には 3つの五輪塔があって

源 頼朝のお兄さん、源 朝長(みなもとのともなが) が眠るお墓…


左から お父さんの源 義朝 ・長男 源 義平・次男 源 朝長 と並んでいるんですって。


このお墓があるのは、袋井市の三川地区にある 積雲院

「高林山 積雲院」(こうりんざんせきうんいん)は源頼朝が兄・源朝長の菩提を弔う為に、鎌倉時代の始まった1185年に建立されたと伝わる寺院。 と説明があるように、頼朝が建ててくれたんですかね…。

源 頼朝のお兄さん、源 朝長(みなもとのともなが) が眠るお墓…



そして 1195年には、朝長の供養のために 頼朝が近くに立ち寄り、黄金の札をつけた数多くの鶴を放った という昔話もあるんだそう。
中遠昔話 鶴ヶ池

供養のための放生会は、近くの池のほとりで大々的に行われ、黄金の札をつけた数多くの鶴が放たれました。
以来、人々は、この池を鶴ヶ池と呼ぶようになったということです

源 頼朝のお兄さん、源 朝長(みなもとのともなが) が眠るお墓…



積雲院には、この朝長公について書かれたパンフレットが用意されています。

源 頼朝のお兄さん、源 朝長(みなもとのともなが) が眠るお墓…

この裏にある情報が これまた泣ける いい話…。


興味のある方は、ぜひ ここ三川地区に足を運んでみてください。

今日の積雲院、小雨の中のアジサイが また ステキな雰囲気でした…。








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源 頼朝のお兄さん、源 朝長(みなもとのともなが) が眠るお墓…
ブログ担当:お茶やの嫁っ子 西村淳子(にしむら あつこ)
その昔、保育園、幼稚園で仕事をしていましたが、どういうわけか お茶やに嫁入り。 道端をゆく 野うさぎやイノシシに驚きつつも そんな生活が大好きに。休日は 大好きなジュビロ磐田の応援に あっちこっちへ出かけております♪ → 今は 早く 応援に行きたいな… と思う日々…(´;ω;`)ウゥゥ

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